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東京高等裁判所 昭和55年(行コ)67号 判決 1981年1月29日

控訴人(原告) ホシ産業株式会社

被控訴人(被告) 東京法務局供託官

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人が控訴人の昭和五三年九月一二日付弁済供託申請に対して同月二九日付でした却下処分を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、左のとおり附加するほか、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の主張)

一  本件のように債権者の受領拒絶を原因とする弁済供託が申請された場合、供託官において、その前提として実体法上有効な弁済提供がなされたか否かを審査する権限があると解すべきではない。

原判決は、供託法及び供託規則に供託官の審査権限を特に制限する規定が設けられていないこと並びに実体上無効な供託が行われ無用な混乱を生ずることを可及的に防止すべきであるとの理由から、供託官は当該弁済供託が実体法上有効なものであるか否かについても審査する権限があるとしている。

しかし、そもそも弁済供託は、弁済者が供託の根拠法令に基づき、国家機関である供託所に弁済の目的物を寄託し、供託所がこれを保管する制度であつて、弁済者は根拠法令によつて発生する法的効果を期待し、供託によつて法的安定を図ろうとするものであり、国は右のような国民の法律生活の安定に奉仕する目的をもつて弁済供託制度を設けたものであるから、弁済供託は、いわば法によつて認められた供託者の権利である。

受領拒絶を原因とする弁済供託は、多くの場合当事者間の法律関係に争いがあり、弁済者は法律上有効な弁済提供をしたとして供託手段をとるのであつて、供託による債務消滅という法的効果が発生したか否かの解決は終局的には裁判所が決定する事柄である。それにもかかわらず、供託官が、供託による法的効果の発生が未確定である供託を無用な混乱を生ずることを可及的に防止すべきであるとの理由のもとに封ずることは、供託制度の本来の趣旨を没却するものである。

次に、供託行為は民法上の寄託契約の性質を有するものであるから、この点からみても、供託官は、供託受理の前提として供託者と被供託者間の関係にまで立入り、当事者間の法律関係の有効無効を判断する必要も権限もないと解するのが正当である。供託法上、供託事務は供託官が単独で取扱うものとされ(一条の二)、更に民間の倉庫業者又は銀行を供託所として指定することができるとされている(五条)ほか、同法及び供託規則が供託事務について詳細な手続方式を定め、大量の供託事務を簡易、迅速かつ能率的、画一的に処理し得るように定めていることなどを考え合わせると、供託制度は供託所に高度の法律的処理を要請せず、供託原因について実質的審査を期待するものでないと解することがむしろ合理的である。

二  次に、原判決は、弁済提供に関しては、特にいわゆる一部提供の場合にその効力の判断が極めて微妙かつ困難なことがあり得ることを認めながら、弁済提供の効力について判断の困難があるからといつて、その効力の有無不明のまま弁済供託を受理すべきであるとする合理的根拠は供託制度の信用保持のうえからも認められないとし、更に一部提供は原則として無効とされていることから、一部提供の受領拒絶を原因とする弁済供託が申請された場合、供託官としては、一部のみの提供を例外的に有効とすべきことが提出書類上明白であるような場合を除き、原則として有効な弁済の提供を欠くものとして当該供託を受理しないことができるとしている。このような見解は、当事者の利益よりも国家機関の信用保持ということを優先して供託事務を処理しようとする考え方に立つものであつて、問題があるのみならず、右見解によれば、提供金額に僅少な不足があつた場合、例えば、提供金額が債務額より僅か一円不足していた場合でも、供託官は当該供託の受理を拒絶できることになる。

しかしながら、判例上、僅か一円程度不足していた場合の弁済提供が信義則上有効な提供となることは異論のないところであるし、原判決もこのことは承認しているものと解される。してみれば、原判決は、有効な提供でありながら、供託上は有効な提供を欠くものとして供託申請を却下するという結論を認めることになるが、かかる見解は法律上同一行為が一方では有効とされながら、他方では無効とされるという結論を導き出すものであつて、自己矛盾も甚だしい。

前述の弁済供託の趣旨からすれば、もともと供託しなければならない状態は、なんらかの形で当事者間に意見のくい違いがあり、債権者に受領する意思がないため供託する必要があるのであるから、供託者がこれが債務額の全部であるとして供託申請をするならば、供託官は受理しなければならないとするのが供託法の正しい解釈である。供託官が、供託原因の存否についてまで立入つて調査していたのでは供託の目的は達し得るものではない。むしろそれは裁判所の判断にゆだねるべきである。裁判所がのちに一部提供を理由に供託の効果を否定しても、その危険は供託者の負担とすればよいのであるから、供託官が一応受理することは認めても、建前としては十分である。他方、被供託者即ち債権者について言えば、当該供託金を債務の一部弁済として受領する旨留保して受領したときは、その後残債務の主張を認められているのであるから前記の結論を肯定しても債権者に不利益はない。

これに反して原判決の見解によれば、原判決が弁解したように債務者はその提供の時から不履行によつて生ずべき一切の責任を免れることができるとしても、債務消滅の効果が発生しないため債務者は強制執行を受ける危険などを解消することができず、いつまでも不安定な状態が残存する。そして、今度はそのような状態を回避するため債務を消滅させようとすれば、改めて新たな提供日までの遅延損害金を付して提供したうえで供託しなければならなくなるなど、債務者(弁済者)の不利益は甚だしく、債務者(弁済者)の利益のために存する弁済供託制度の趣旨は踏みにじられる結果となる。

以上の点から明らかなように、原判決の見解は、本来有効とされる筈の弁済提供に不当にも供託の道を閉ざし、供託者を不利な立場に追い込むものであり、供託法の解釈を誤つたものである。従つて、原判決はこの点からも取消されるべきである。

三  更に、原判決のように履行期を経過した金銭債務については遅延損害金を付さなければ供託上は債務の本旨に従つた提供にならないと厳格に解するならば、その前提として当該債務が「商行為ニ因リテ生シタル債務」か否かをまず判断し、商事法定利率を適用するか民事法定利率を適用するかの決定をしなければならないのである。けだし、商事法定利率を適用すべき場合に民事法定利率を適用して算出した遅延損害金を付しても債務の本旨に従つた提供にならないことは原判決の見解の当然の帰結であるからである。しかるに、原判決は本件債務に商事法定利率を適用すべきか、それとも民事法定利率を適用すべきかについては全くふれていない。

供託規則が要求する供託書の記載事項及び添付書類から当該供託にかかる債務が「商行為ニ因リテ生シタル債務」か否かの断判をすることは困難である。もし右判断をしようとすれば法令で定められている資料以外に、契約書その他の判断資料を提示させたり、供託者に対し質問をするなどの方法をとらざるを得ず、右の法定の資料のみを基礎として正確に判断することは不可能である。このように考えると、形式的な書面審査方式のみが許されているに過ぎない供託官としては、仮に遅延損害金が付加されている場合でも、それが民事利率が有効か商事利率でなければ無効であるか、判断資料がなく中途半端な審査となつてしまうのである。

原判決が供託制度の信用保持という見地から、法定遅延損害金の問題についてまで供託官に審査権限があると論断したことは、このような点から破綻を生じ、かえつて供託制度の信用をそこなうことになる。

(被控訴人の主張)

控訴人の前記主張は争う。

履行期を徒過した金銭債務について遅延損害金を付さずに元本のみ弁済の提供がされた旨の供託の申請があつた場合、特別の事情のない限り、債務の本旨に従つた弁済の提供がなされたものといえないことから、供託官は供託者に対し、遅延損害金に関する特別の約定即ち遅延損害金を発生させない旨の特約や遅延損害金の免除があるか否かの確認を行い、その結果供託者が右の特別の事情が存しない旨述べた場合、供託官は申請にかかる事実関係の下では債務の本旨に従つた弁済の提供がないため供託を受理できない旨説明を行うものであり、具体的事案において遅延損害金の提供をなすべきであるにもかかわらず、その提供を欠くことが明白な場合、更にそれ以上立入つて遅延損害金の法定利率の点まで審査する必要は全く存しないのである。

本件供託申請においては、履行期の徒過により元本とともに遅延損害金の提供をなすべきであるにもかかわらず、遅延損害金ゼロとした弁済の提供であることが明白なことから、被控訴人は却下処分を行つたもので、もともと遅延損害金の法定利率が商事か民事かの判断を行う必要のない事案であつて、控訴人の主張は当を得ない見解といわざるを得ない。

理由

一  当裁判所も原審と同様、控訴人の本訴請求は理由がないと判断するものであり、その理由は、左のとおり附加するほか、原判決の理由中の説示と同じであるから、これを引用する。

1  控訴人は、弁済供託制度の趣旨、供託の法律的性質並びに供託取扱の機構及び手続等に鑑みれば、本件のように債権者の受領拒絶を原因とする弁済供託が申請された場合、供託官において、当該供託の前提として実体法上有効な弁済提供がなされたか否かを審査する権限があると解するのは正当でない旨主張する。

弁済供託は、弁済者が供託の根拠法令に基づき国家機関である供託所に弁済の目的物を寄託して債務を免れる制度であつて、国民の法律生活の安定に奉仕するために設けられたものであること、供託行為は民法上の寄託契約の性質を有すること、供託法上、供託事務は供託官が単独で取扱うものとされ(一条の二)、又同法及び供託規則が供託事務について詳細な手続方式を定め、大量の供託事務を簡易、迅速かつ能率的、画一的に処理し得るように定めていることは、いずれも控訴人の指摘するとおりである。

しかしながら、以上の事実から直ちに弁済供託の場合、供託官においてその前提となる弁済提供が実体法上有効であるか否かを審査する権限がないとの結論を導き出すことはできない。即ち、弁済供託制度の趣旨、供託の法律的性質並びに供託取扱の機構及び手続が前記のとおりであるとはいえ、実体法上無効な供託が行われ無用な混乱を生ずることを可及的に防止すべき必要のあること、並びに供託法及び供託規則は、供託官に供託を受理すべきか否かを審査決定する権限を付与しているが、その審査の対象となるべき事項について特に制限する規定を設けていないこと原判決の説示するとおりである。そのうえ、同法及び同規則は、供託をしようとする者に対して一定の供託書及び添付書類の提出のみを義務づけている(法二条、規則一三条ないし一七条)反面、供託書には、供託金額等のほか、供託の原因たる事実、供託を義務付け又は許容した法令の条項をも記載すべきことを要求している(規則一三条二項)のであり、以上の諸点に鑑みれば、供託官は、供託のいわゆる手続的要件のみならず、当該供託が実体法上有効か否かという実体的要件についても、それが供託書及びその添付書類のみに基づいてなし得る限り、その審査をなし得る(もつとも、供託官は、供託申請者の提出書類を離れてそれとは別個の方法で当該供託の原因たる契約の存否や効力の有無等について実質的に審査する権限を有するものではなく、あくまでも供託申請者の提出にかかる書類の記載から供託を実体法上無効ならしめる事由が存するか否かも審査し得るにすぎない。)ものと解するのが相当である。供託官において供託の実体的要件について審査し得ると解しても、その審査の範囲及び方法が右のような程度にとどまる限り、審査のためさしたる時間や労力を要するものではないから、これによつて大量の供託事務を簡易、迅速かつ能率的、画一的に処理しようとする法令の趣旨に反するとはいい難い。

2  次に、控訴人は、提供金額に僅かの不足があつても信義則上なお有効な弁済提供とされる場合が多いのであるから、弁済提供の効力の有無が不明のままでも供託を認めるべきであるとし、これを否定する見解は、本来有効とされる筈の弁済提供につき供託の道をとざし、供託申請者に不利益を与えるものであつて誤りである旨主張する。

成程提供金額に僅少の不足があつても信義則上有効な弁済提供と認められる場合のあることは、控訴人の主張するとおりである。しかし、債務の本旨に従つた弁済の提供といえるためには、債務の全額の提供を必要とするのが原則であり、提供金額の不足が僅少にとどまる場合には、権利義務関係を支配する信義則によりなお有効な提供とされることがあるにすぎないのであつて、その不足額がどの程度であればなお有効な提供といえるのか否かの判断は、具体的個別的事情に即して行われなければならない関係上、極めて微妙かつ困難なものがあるといわなければならない。従つて、弁済提供の金額が債務額に不足する場合、直ちに右提供を無効とすることなく、供託官において、更に進んで当該提供が信義則上有効とされるか否かまでを、審査、決定すべしとすることは、前示審査の方法からみて、実際上大きな困難が伴うであろう。

控訴人は、右のような場合には弁済提供の効力の有無が不明のままでも供託を認めるべきであると主張するが、弁済供託が一旦なされると弁済がなされた場合と同様、債務消滅の効果を生ずるのであるから、供託官において弁済供託の受理に際し、可及的にその要件を審査して無効な供託即ち債務消滅の効果の生じない供託のなされることを防止すべきことがその制度上要請されていると解されるのであつて、いかに弁済者の利益を保護するためとはいえ、弁済提供の効力の有無が不明のまま供託を受理するが如きは供託制度の趣旨に反するものであつて許されないといわなければならない。控訴人の前記主張は採用することができない。

3  更に、控訴人は、原判決のように履行期を経過した金銭債務については提供金額に遅延損害金を付さなければ供託上は債務の本旨に従つた提供にならないと厳格に解するならば、その前提として遅延損害金の算出については商事法定利率を適用するのか民事法定利率を適用するのか決定しなければならないが、この点を供託書及びその添付書類のみから正確に判断することは不可能であるから、法定遅延損害金の問題についてまで供託官に審査権限があるとした原判決の見解はこのような点から破綻を生じている旨主張する。

しかしながら、履行期を徒過した金銭債務については、特別の約定がない限り、当然遅延損害金債務が発生するのであり、又特段の事情のない限り、遅延損害金を付さずに元本債務についてのみ弁済の提供をしても債務の本旨に従つた提供にならないことはいうまでもない。そして、本件のように履行期を徒過した金銭債務について弁済供託の申請があつた場合、供託官においては、当該の場合の判断に従い、供託申請者の提出にかかる供託書及び添付書類から当該供託にかかる債務が「商行為ニ因リテ生シタル債務」(商法五一四条)に該当すると認められるならば、商事法定利率を適用して算出した遅延損害金を付して弁済供託の申請がなされたか否かを、しからざる限り、民事法定利率を適用して算出した遅延損害金を付して右申請がなされたか否かを、それぞれ審査して、供託申請の可否を決定することになるのであつて、この点の調査のために供託申請者に法令で定められている前記書類以外の判断資料を提出させるべきではなく、又その必要もないと解されるのである。従つて、控訴人の前記主張は当を得ないものといわなければならない。

二  よつて、原判決は相当で本件控訴は理由がないから、これを棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉田洋一 中村修三 松岡登)

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